さよならユニバース

日々をごちゃまぜリミックス

ナイロンの糸

f:id:myloops:20191226233025j:image

このまま夜になっても

何かを食べて眠くなっても

今更 寂しくなっても

ただ 今は思い出すだけ

今日は初めての経験をした。

バンドメンバー(ギター)が1人欠けた状態でライブに出た。年末最後のライブ納めの日だったけど、仕方の無い用で私達も数日前から聞いていたから受け入れるしかなかった。

 

人との別れは突然訪れる。メンバーの彼女は大切な祖母を亡くした。私も小学校6年生の頃に大好きな祖父を亡くしたことがある。肝臓がんだった祖父は長い間入退院を繰り返していた。最期には狭い病室の中でたくさんの孫と娘、息子達に看取られた。その日の事は一生忘れることはないだろう。私は学校に行っていて、丁度2限目が終わる頃に教室のインターホンが鳴った。すると先生から

おじいちゃんが危ないから 帰る準備して

私は思わず過呼吸になるほどパニックになった。急いでランドセルに荷物を詰め込んで4階の教室から1段飛ばしで階段を降りて迎えを待った。病室に着いた頃、まだ辛うじて息をしていた祖父。みんなで「おじいちゃん」「お父さん」と声をかけた。かけ続けた。私は亡くなる数日前に会いに行っていたこともあって、急にこんなことになるとは思いもよらなかった。私は数日前には長かった髪をばっさりボブになるくらいまで切っていた。いつものように、何気ないことを祖父に話そうと思って

おじいちゃん、私髪切ったの。似合う?

と、ほんのり暖かい手を握り、声をかけた。

それでも涙を堪えることは出来ずに大粒の涙が布団にこぼれ落ちていた。それを聞いて

そうよ れいちゃん、髪切ったんよ見える?

と、みんなで声をかけた。しかし祖父からは何も聞こえなかった。ただ歯を食いしばって痛そうな表情をしているだけだった。

みんなが声をかけ続けた結果、少し落ち着いた。ご飯を食べようと食堂に行き、私はわかめうどんを注文したと思う。ゆっくり食べてられなかったから確か、いとこと分けて食べた。

戻って少し経った頃、祖父は亡くなった。

 

人の最期を看取るのは2度目の経験だった。あまりこういう経験は無い方がきっといいと思うのだが、私は人のぬくもりや、こうやって今祖父のことを思い出すことはすごくいい事だと思っている。し、誰よりも人の痛みを分かってあげられるようになった。

意外とお通夜や告別式は気張って疲れてしまうし、「休める時は休んでね」とギターの彼女に声をかけた。正直、そんな事言われても落ち着ける訳は無いのだが、ほんの気持ち。

 

いつも名前を呼んで遊んでくれるおじいちゃんが大好きだ。こっそり後ろからくすぐってくるおじいちゃんが大好きだ。このやさしさは私の中にしっかり残っているよ。

 

おじいちゃんと私はいつも、

見えない糸で繋がっているような気がする。

 

ナイロンの糸

ナイロンの糸