さよならユニバース

日々をごちゃまぜリミックス

時を戻しまた巡り会えたなら

令和8年4月5日 ヤジコの日

私の人生の中でいつの間にか大きな存在になっていたバンド、YAJICO GIRLが活動終了した。

この日、残念ながら最後のライブには立ち会えなかったが、代わりに大阪公演にて彼らの姿をこの目に焼き付けた。

すぐに書き残していけばよかったのだが、何かを書いておきたいと思いながら、何を残せば、未来の私が見返した時に思い出に浸れるだろうと考え込んでしまった。結局、大阪公演の後に弾丸で日帰り東京ヤジコ展も達成しているし、未だに「最後だったんだ」という実感はかなり薄い。ということで、今まで生きてきた中で間違いなく濃い3月30日になったのでこの日の記憶を書き残しておく。

 

令和8年3月30日 「Y2S -ヤジコ万博 -」

この日、前日にカベポスターの漫才劇場卒業公演があった都合で大阪には前乗り。「最後」という実感が薄いのにも関わらず、体はどうやら緊張しているようで、1時間ごとに目が覚めながらの浅い眠りだった。結局6時ごろに起床。5人への手紙を書く。考えていると、いろんな思いが込み上げてしまい、泣きながら書き上げた。インスタのサブアカウントに「グエー泣きながら書いたンゴ」と手紙の写真を添えて載せる。ミームでごまかさないと悲しくてどうにかなりそうだった。

前日に買っていた1食分の鉄分が入ったココアを飲む。朝からは少し甘すぎた。どうにか飲み切ってチェックアウトに向けて身支度と荷物をまとめる。ホテルを出る前に栄養ドリンクをかちこむ。内面から自分を奮い立たせた。

昼はなんば駅からすぐの道頓堀シアターで「お笑い翔レストラン」を友達と観ることにしていた。12時〜14時となかなか長めのライブだった。前半はあまり考えることはなかったが、ライブ後半に差し掛かるにつれて、ヤジコの事が離れなくなってしまい、オモロい言葉が私の耳に届かなくなっていった。ライブが終わっても上の空になって、一緒にいた友達に申し訳なかった。

16時ごろ、会場のある江坂へ。東京から来るお友達と待ち合わせ。その頃にはLINEに

 

 

「え」

「めっちゃしんどくない?」

「全然無理なんやけど」

「会ったら泣くかも」

「はやくきてー!」

 

 

と悲鳴をあげていた。

数分後、無事合流。メソメソしながらグッズの先行販売へ。絶対に歌詞集とデザイン集スリーブセットが欲しかったので気持ち急いだ。いつもそこまで混み合っていない印象だったが、階段の途中から並んでいた。過去のグッズもお安くなっていることもあり、先行で買っておいてよかったと思った。

ライブまで時間があったので、近くのサイゼで時間を潰した。緊張のせいか、あまり食欲がなく、たまねぎのズッパを食べた。約1年ぶりに会えたのに、いつも通り私が多弁であった。いつも心許した人にはドカドカと勢いよく喋ってしまって、いつも後悔する。ごめんなさい。

開場に合わせて店を出て、江坂MUSEへ向かう。チケットはそれぞれ取っていたので整番の関係で離ればなれに。「あとでね」と言い別れた。

ヤジコのライブに行けば、約束をしなくてもいつも会える人達がいた。この人達とヤジコのライブで会うのも最後なんだなと思うと寂しかった。同じバンドの同じ音楽が好きで出会えた人達。本当に奇跡だと思う。たくさんの人で溢れたフロアを見て、嬉しかった。が、

「どうか、ライブが始まらないでくれ」と思うくらいには寂しくて仕方なかった。終わりを実感するのが怖かった。

 

ライブが始まって、何を歌われても、最後なんだと思うと、涙が止まらなかった。こんなに愛しくて大切な音楽がこのバンドには溢れているのに。明るい曲ほど泣けた。

 

ライブで聴きたい曲のアンケートがあったので、もちろん答えた。

✅ニケ ✅Casablanca ✅鳴いてるロックンロール にしたと思う。高校の時にたくさん聴いたベスト3。

「鳴いてる」以外の2曲はセットリストにいて、嬉しかったのと同時にまた泣いた。

コロナで時が止まった高校3年。もうやり直せないのに悔しさを抱えたまま生きてきた。

辛かった高校生活。音楽が救いだった。

軽音楽部の部長だった私は、動くことを辞めなかった。人数制限を設けた文化祭のライブ。

私の組んでいたバンドのSEはYAJICO GIRLの「サラバ」だった。

YAJICO GIRLは私の青春だった。

 

こんなに大好きだったのに、ライブに初めて行けたのは2022年のMASHトレジャーツアーだった。私が活発に動けるようになってから、こんな早くに活動終了するなんて思わなかった。あまりライブに足を運ぶことができなくて悔しかった。心残りになってしまった。

人生何があるかわからないってこういうこと言うのかな、と思った。

最後のライブを観ながら、いろんなことを考えた。泣きすぎてあまり覚えていないが、四方さんが「最高のバンド人生でした」と涙ぐんだ声でこぼした時に、「ずっと応援していてよかった」と思えた。

 

ライブが終わって、放心状態だった。最後の手紙はどうしても吉見さんに渡したかったので、たまたまステージに出てきてくださったタイミングでお渡しさせていただいた。新幹線の時間が迫っていて名残惜しかったが、いつも会っていた人達をハグをして、会場を離れた。頭が回ってないまま、新幹線に乗り、どうにかやることを終わらせて布団に入った。

 

間違いなく、人生で一番濃くてあたたかい日だったと思う。最後に大阪でライブやりたいって言ってくれてよかった。タクシーで江坂まで行こうとしたのにチャリで来てしまったのも笑った。最後の最後までMCがうまくいかなくて本当に愛しかった。グダってなんぼ。いつまでも変わらない姿でいてくれてありがとう。

 

作った曲の数だけ 君を祈ってる と歌ってくれたように、

私が今までYAJICO GIRLを聴いてきた時間と、今後聴いていく時間の限り、

YAJICO GIRLの事を、5人の幸せを祈っています。

 

さよなら また会う日まで

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葛藤

最近、暇さえあれば求人を見ている。

正直転職したい。今の仕事に就いてもうすぐ一年が来るが、今の場所で石の上にも三年みたいな感じで三年もいられるかと言われたら何か違うような気がして最近ソワソワしてしまう。

元々、学生時代に勉強していたこととは少し違う職種に就いたことも大きいが、やっぱり習ってきた知識を活かして仕事をしたくなってきた。せっかく資格も取ったし、無駄にしたくない。今の場所、人間関係はめちゃくちゃ良いけれど、心からやりたかった仕事ではないからそのうちどんどんしんどくなるのが分かっている。そう思いながら働いているうちに私の知識が死んでいくのも分かっている。

就活、もっと粘れはよかったか?そんな余裕当時の私にはなかった。実習先で求人を出そうと協議してくれたものの、結局出なかった。専門学生は受け入れてもらえなかった。そもそも目指す道(求人)が少ない職種で、同級生同士で試験に行って、誰かだけ受かって、他の子は落ちてみたいな場面をたくさん見た。見てられなかった。私はその競争からも外れた。自信が無かったからだと思う。立ち向かえる強さが私にあればよかった。

やりたいことがあるって強みだし、そこに向かっていける・目指せる道があるのも最高なんだと身を持って知った。私はやりたいことがあったのに道がなくなった。どこに向かえばいいか分からなくなった。だから無理矢理、自分の頭の引き出しから、「自分は何に興味があって、少しでも今学んでいることが活かせる職種があるか」と考えに考えて今の仕事に就いた。でもやっぱり違うらしい。

どうすればいいか、分からなくなった。

さらば純情

ほうれん草は美味しい。

でも祖父が作ったほうれん草が

人生で一番美味しかった。

 

今年の4月に亡くなった祖父は畑をしていたのでいつも野菜に困ることはなかった。なんでもあった。たまねぎもたくさん届いてベランダの物干し竿いっぱいにぶら下げていた。夏場はトマトやきゅうりが食べきれないくらいあった。冬には毎年白菜を漬物にして、無くなればまたくれて、あの味がいちばん美味しかった。一緒に大根も収穫したし、いちごや柿だったり、果物もたくさんあった。

でももう食べられない。いないから。

今日、たまたまほうれん草が食卓に並んだ。母が「やっぱりおじいちゃんが作ったほうれん草が美味しかったなあ」と言った。「大きいし、茎も太いし甘いし美味しかった」と。なんとなくふざけた声で「おじいちゃ〜ん!」と叫んでみたが、当たり前だが返事はない。そのときは笑って終わった。

その何時間か後、風呂に入ったら急に悲しさが込み上げてきて一人で泣いてしまった。まだ立ち直れていなかった。亡くなったのは4月なのに。疲れているのかな。全然悲しい。

母方の実家に行って、すぐ仏壇に向かうけど、未だに嘘みたいでふわふわする。仏壇に置いてある遺影を見ても、なんだか気が遠くなる感覚になる。この目で骨になった姿まで見たのに。私はその骨が入った壺を抱えたのに。

 

まだ、

おじいちゃんと呼べば、

返事が返ってくるような気がする。

「来たんかあ」と

優しく笑ってくれる気がする。

 

 

いつもより排気ガスのにおいがする高架下をくぐって出勤する。enfantsが「憂鬱な月曜日、今日世界を変えるよ」と歌ってくれる。初盆なのに出勤しているから4月に亡くなった祖父が怒りそうなので帰りに好きだったシガーフライとのどごし生を買って帰ろうと思う。

 

 

思い出して涙が出なくなるまであとどれくらいかかるだろう、アルバムを見ているだけで涙が溢れて止まらなくなった。さみしくてまだ悲しくて。

祖父は背が高かった。よく自転車の後ろに乗せてくれて公園や近所のコンビニ、畑まで連れて行ってくれた。坂道を登るために立ち漕ぎをする大きな背中がまだ記憶に濃く残っている。

 

 

今年の3月、祖父は明らかに体調が悪くなった。体力もなくなり、ずっと寝ているようになった。私が4月に就職するまでは病院の送り迎えを何度かした。誰かに支えてもらわないと、杖をつかないと歩けなくなった、あんなに元気だった祖父の面影はなかった。送り迎えをすると欠かさず「ありがとう」と言ってくれた。病院へ送ってそのまま入院して2週間ほどで亡くなった。末期の膵臓がんだった。

 

CTで見たがんの大きさに怖くなった。握りこぶしがそのままみぞおちにあるくらい大きかった。変に医療知識があるためより解ってしまい、この先を考えると震えた。もう長くないと分かってしまった。

4月の頭、桜が満開の時期に亡くなった。仕事が休みのタイミングで桜を見に連れて行こうと思っていたのにできなかった。亡くなったと連絡が入り、仕事を昼で早退して急いで帰った。あまり実感が湧いていなかった。葬儀場に着いて、名前を呼ぶと今にも起き上がりそうな祖父を見て涙が止まらなくなった。ただそこに眠っているように見えた。すっかりやせ細った祖父の体はもう冷たかった。

親族側でお通夜や告別式を迎えるとバタバタして悲しむ暇もなく、ただただ疲労と寂しさがぶつかる。「食べれるときに食べや」と言われ、近所のマクドナルドでビックマックのセットを買ってもらい食べた。意外と食べられた。

 

孫は私一人なので同じような年齢の人も周りにおらず、面識があるか微妙な親戚がどんどん来るお通夜と告別式の受付をした。棺の中におじいちゃんとしたかったことを書き、納めた。来てくれた人にも鶴を作ってもらい、棺は花と鶴でいっぱいになった。顔を見るだけでつらかった。

 

今思い出しながら書いているが寂しさが込み上げてくる。新しく出来た火葬場にはじめて行き、終わるまで控室で待つ、これがまあまあ長い。祖父は思っていたより骨が残っていないなと感じた。痩せていたのと癌になっていたのも大きかったのかもしれない。小さな骨壷に収まるだけ収めて、私が抱えた。重かった。

 

疲れもあり、帰りの車で酔ってしまった。ただ食欲はあって、持ち帰った仕出しの弁当を食べて、母親の実家の片付けを手伝った。告別式が終わった次の日から普通に出勤したし、仕事が忙しいといろいろ考えなくて済んだ。入社して3日目だったし、4月と5月の骨納まではなかなかしんどかった。

 

たまには思い出さないといろいろ忘れる。最近も忙しさのせいか月日の流れか高校のときに好きで聴いていた曲をまるっと忘れたりしていた。あんなに繰り返し聴いていた曲を忘れるんだと驚いた。メロディーすら出てこない。人との思い出はそうならないでいたいし、しばらく人との別れは経験したくない。

キューピーコーワヒーリング?

まただ。どっと来る体調の悪さ。表現出来ない倦怠感と体温の高さ、理由は分かっている。生理前だ。気休めにキューピーコーワヒーリングを飲む。これは飲む度思うが、寝起きが変わったような感じはなく、むしろ眠気が残るような感覚がある。ただ中途覚醒がないので目覚ましが鳴るまでは深めに眠れているのかなと勝手に思う。

仕事はどちらかというと順調、日々迷惑はかけている。職場の人と話すのが好きなので世間話でも話しかけてもらえると嬉しい。ただ今の時期、御盆前ということもあって病院に来た全員が薬を貰いに来てるんじゃないかというくらい忙しい。そうでなくても割と忙しい職場なので少しパニックになる。私のミスを誰かがカバーして、「すみません」「ごめんなさい」を鳴き声のように発し、申し訳なくなる。

人間誰しも間違えるし、ヒューマンエラーって習ったけどさすがに疲弊する。すぐに切り替えられない。家に帰った時のひとり反省会が止まらない。もうずっと眠っていたい。疲れたから3連休が欲しい。いくらでも寝ていられる。この文を打ちながらもウトウトしてきた。そろそろドリンクが効いてきたのかもしれない。また始まる月曜日に向けて寝ようと思う。

最近

寝室の天井には川の水面が月の明かりに反射して映っている。ゆらゆらと揺れるから気付いたらぼーっと眺めてしまう。眠れないから思い出したようにここに来た。

 

新卒で就職してもうすぐ3ヶ月が経とうとしている。少しずつ職場の人とも打ち解けてきて、仕事もできることが増えてきた。最初の頃は気疲れもしたし、慣れないことが多くて疲れることが多かったけれど、今は休みの日を満喫するために一生懸命仕事を乗り越えてる感じ。仕事終わりに走りに走って大阪に行ってライブを観て、次の日普通に出勤したり、若さ全開で日々を楽しんでいる。学生の時はこんな無茶なことしなかったし、コロナもあって出来なかった。それもあって社会人になった今私の行動範囲全てが解放されている。できることが増えてうれしい。

まあいろいろと気にしい、考えすぎなタイプなので仕事中の気の張り方は異常だと思う。先輩に名前呼ばれるだけで構えているし(無意識)、何をするにも「間違えていたら……」と不安になったりする。こんなもんかな社会人1年目は。

専門学生時代に勉強してきた範囲とは違う職種なのもあって、勉強していたことを活かしたいなと思ったりもしてそのうち転職も考えたりしたい、ただ今の職場がどう考えてもホワイトなので相当良い条件でないと転職しないかな。仕事でも強く興味を持てるものを大切にしたい。好きなものは好きと、言える気持ち抱きしめてたい(By槇原敬之)

しょうもない近況は親知らず抜いたり、食いしばりの影響で顎が厳しい状況らしく寝る時にマウスピースを始めたりしています。人生。

また思い出したようにここに書きます。

あまりにも春

今日母親を職場に送る時に、たまたま公園の横を通ったら、学ランを着た男の子4人組が暖かい日差しの下に集まっているのを見かけた。

 

春だ。春すぎる。あまりにも春。今日は気温も丁度良くて、春と呼ぶに相応しい日であった。私もたまたまブラウンピンクのアイシャドウを使った日だった。

先日、3年通った専門学校を卒業した。誰とも被らないような色がよくて、ターコイズブルーの袴を選んだら本当に誰も着ていなかった。偶然、学科の代表に選ばれて卒業証書を受け取ったり、地方のニュースで流れてサムネイルになっていたりしたらしく、多方面から連絡が来て恥ずかしかった。

もっとここに書き残せるような思い出があればよかったのだが、本当に友達がいなくて大した思い出もできないまま3年間を終えてしまった。もともと、グループで仲良くする感じが得意ではなかったのもあって、1人で過ごすのが楽だった。お弁当も1人で食べていたし、基本行き帰りも1人だった。一定の期間いっしょに過ごしたりすることはあっても、休みの日にわざわざ出て会うような関係になった人はほぼいない。

「卒業しました〜」とインスタのストーリーに載せると、DMに連絡を送ってくれたり、わざわざLINEを送ってくれた人もいて、すごく嬉しかった。「友達」という概念を感じて、ジーンとした。これを機に、今までの友達をより大切にしようと思えたし、20数人しかいなかった専門のクラスには合う子がいなかっただけだなとも思えた。これからもっとたくさんの人に出会うはずだし、案外大丈夫だなと納得できた。

4月から新社会人になることもあり、びっくりするほど運動不足になった。動かないのに食べる量は変わらない(むしろ増えた気がする)から祖母の犬の散歩を始めた。みんなに見てもらう(公表する)ことと、自分の記録をこめてインスタのストーリーに載せていくことにした。

犬を連れて歩いていると、想像以上に声を掛けられる。「かわいいね〜」「柴犬ですか〜」「ほら〜わんわんおるで〜」など色んなお声を頂くが、明らかにうちの犬に向かって言っているのに私が恥ずかしい気持ちになっている。

エヘ、エヘ///←こういう感じ

犬の代わりにリアクションしている。犬連れた気持ち悪い成人女性通過します。ご注意ください。

うちの犬も、もう今年で10歳らしい。私が小学校6年生の時、3ヶ月の子犬わんころ期に我が家に来た。それと同時に祖父が亡くなって10年だ。もう10年も経ったのかと驚く。そりゃ、私も就職するわな。祖父が亡くなったのは11月で、うちの犬は祖父の命日前日に生まれている。命がめぐるのを感じる。

これからの生活がどうなるか分からないけど、今までよりも、もっと、楽しい輝ける人生になってほしい。死ぬほどおもんなかった学生時代を忘れられるくらい人生楽しむ。