さよならユニバース

日々をごちゃまぜリミックス

日常生活

スッキリとした気持ちで目覚めない朝を迎え、意味もなく時間をかけながら朝食を食べ、歯を磨き、顔を洗い、嫌いな夏服に袖を通す。だらしない声で「いってきます」と言い、玄関のドアを開ける前に1度深呼吸をする。毎日毎日、同じような忙しない日々を送り続けている。マスクが苦しく感じる季節になってきた。4日連続で感染者が出ていて驚いているが、学校はこれくらいじゃ休みにならないだろうし、ただただ暑さで疲労が溜まっていくばかりだった。

この前入学した気になっていたのにどうやらもう受験生らしい。高校生活あっという間だった。クラスメイトともいろいろあったし、自分自身、前を向けない時もあった。そんな時いつも救ってくれたのは音楽だった。たまたま流したプレイリストから流れてくる曲に、何度心をときめかせたことだろう。苦手な勉強にも、ときめきを感じたいほどだ。周りの子達は点数や成績を比べてばかりで、息が詰まる。そこで比べても結局は自分の問題なのに。ルールに沿って付けた成績に対して教師に文句を言い散らかす生徒をたくさん見て思わず泣いてしまった。「自分の出来が悪いって認めればいいのに」とそう思った。

 

人間はいつも自分で作り上げてしまった"小さな枠"の中で悩んでいる。その悩みは基本、周りの人と比べていることばかりだ。

"あの子より勉強ができない。" "あの子より足が遅い。" "あの子より目が小さい。" 

ひとりで枠を組んで何を悩んでいるのだろうか。人ばかりに気を取られるからダメなんだ。自分ばかりに気をとられてしまえばいい。小さな世界で踊るばかりでは面白くない。もっと大きなステージを目指そう。人と比べる悩みを忘れてしまえば、きっと何もかも上手くいく。

 

しかし、それとは別の話で、受験を控えた友達に無責任な事は何も言えない。仲良し4人組の中で1番早く受験が終わる私は他の3人の話、悩みや不安を聞く側に回る。「指定校が怖い」「学科試験が怖い」「ホントに受かるんだろうか」と毎日毎日リピートしている。不安になる気持ちも分かる。痛いほど分かる。高校受験のタイミングがそうだった。最後の最後まで模試の判定はC判定。その状態で受けた特別入試は落ちた。同じ塾から受けた子達は私以外受かっていた。その現実に耐えきれず、合否を聞いたタイミングで泣いていなかった私は人目もくれずに声を出して泣いた。人生で一番つらい日だった。「落ちた」現実を突きつけられ、家でも泣いて、それでもめげずに一般を受けようと決めた。朝は早く起きて学校に行っては、追加科目の社理の勉強をして、毎日の様に塾に通い詰めた。苦手な数学を週に2回受けて、土日に特別講習を取り、塾に行っていない日なんてなかった。塾から帰っても家で過去問を解いて解いて解きまくっていたし、iPhoneも母親に預けて引き出しにしまっていた。1ヶ月弱くらい電子機器と離れていた。そんな毎日が功を奏したのか無事に一般で受かることができた。ギリギリで受かったこともあって普通に毎日悲鳴を上げているがどうにかこうにか3年目になった。残り半年。そしてまた受験生。高校受験の時に気合を入れてしんどすぎたこともあって、妥協、ではないけれど少し余裕のある専門学校を受験した。仲のいい3人は私がどんなところを受けたかもちろん知っているけど、私が調子乗ったようなことをしてたらダメな事は分かっているから何も口出ししないし、自分の受験のことも静かにしている。あまりにも3人が不安になっているから「まあ4連休だから少し息抜きになるじゃん」と言ったが、「あまり嬉しくない」「勉強しないと」と言われてしまい 私まで落ち込んだ。少しでも気分転換してほしいと思って言ったことが裏目に出た。みんなナイーブになっているから何を言えばいいかますます分からなくなってきた。

 

ただ言えることはひとつ。本当に応援していることは分かってほしい。それだけなのだ。誰も嫌味のように言っている訳では無い。分かってほしい。大切だからこそ、なのだ。

 

どうでもいい日記のようになってしまった。たまにはいいか。