さよならユニバース

日々をごちゃまぜリミックス

いのちのおもさ

今日はこんなツイートを見た

Sea cucumber on Twitter: "飼っていた鳥が死んで、死体をゴミ処理場に持っていった時のレシートをずっと持ち歩いている https://t.co/0R3CuZBKlO" / Twitter

というツイートだった。

レシートに書いてある「1,080円」がいのちのおもさを表しているようで、心がホロホロと崩れた。

人は普段、何気なく生きていて、そんな中でもどこかで誰かが生まれて、どこかで誰かは死んで、その輪廻転生の中で生きている。

幼い頃に告別式や斎場まで行って人をおくった経験がある。自分の祖父が亡くなった時、父親が喪主をしていた。忙しなく動いて、夜中も祖母や兄弟と起きてずっと話していた。父親が祖父の事をずっと「親方」と呼んでいたのに、病室で看取る時には泣きながら「お父さん」と呼んでいた場面が今でもフラッシュバックする。私は当時小学生だった。正直、受け止めきれるか不安だった。

母の叔父の告別式に行った時がおそらく人生で初めて「お葬式」というものに行ったタイミングだった。その時に初めて斎場まで行って、初めて「人の骨」というものを見た。納骨室に入った瞬間、初めて匂った「人の匂い」に負けて気持ち悪くなってしまった。納骨が終わるまで終始人に支えられていた記憶がある。今思えば申し訳ないことをしたな、と思うが、幼い私にはまだ「死」というものを受け入れる力は無かった。表現のできない香りと、薄暗い部屋。黒い服。嗚咽を堪えて見ていた私。今でも鮮明に覚えている。

祖父が斎場で火葬される時、父親は喪主だったから焼却ボタンを押さなければならなかった。エレベーターのような扉の中に祖父は入っていく。父は少し俯いてボタンを押した。私はその瞬間涙が流れた。歩いて待合室まで向かう。いとこと手を繋ぎ、ゆっくり歩いた。斎場の待合室の雰囲気もなんだか苦手だ。色のない世界。誰もが黒。お菓子や飲み物が売っているが、どうも買う気になれない。色がないのだ。2時間ほどで「番号」が呼ばれる。ここで「祖父」が「番号」になるのだ。出てきた祖父は体が大きかったこともあって骨がしっかりと残っていた方だった。なんの抵抗もなく骨を崩していく斎場の人が少し怖かった。その時に私は初めて箸で骨を取り、骨壷に納めた。

それからもう約6年経った。周りの同級生はお葬式に行ったことが無い子がほとんどで、「行ってない方がいいんやで、ええこと。」と話をした事がある。「死ぬ」ということはまた「生まれる」のだ。私もあなたも誰かの生まれ変わり。

いのちは想い。